本日のテーマ:「なぜ近現代史を学ぶことが重要なのか?」
1,数字は語る
@十五年戦争(1931年9月18日柳条湖事件〜1945年8月15日敗戦まで)における
日本陸海軍戦死者総数=212万人(陸軍165万人、海軍47万人)
→うち、1944年から1945年にかけての戦死者=約200万人
A十五年戦争全体で動員された日本人男性ののべ人数=1000万人
→1944年から1945年にかけての兵役適齢者の90%が召集される。
B日米軍事力格差
開戦時(1941年)の陸軍航空機保有数(機)
日本=4826 アメリカ=12300
敗戦直前(1945年)
日本=8920 アメリカ=66000
開戦時の海軍軍艦保有数(隻)
日本=232 アメリカ=346
敗戦直前(1945年)
日本=346 アメリカ=738
C日本国民全体の死者(軍人・民間人を問わず)
約310万人
→アジア全体の犠牲者=2000万〜3000万人
(出典:歴史探検隊『50年目の「日本陸軍」入門』1991)
なぜ、日本は無謀な世界戦争に突入したのか?戦争は台風・地震など自然災害と異なり、ある日突然発生するものではない。何年にもわたるプロセスを経て発生する。
「戦争は悲惨だから二度と繰り返してはいけない」は当然のこと。しかし誓いだけでは戦争を防ぐことはできない。
なぜ、どのようにして、戦争に至ったのか?
プロセスを学ぶ必要がある。
情緒を重視する体験伝達型の平和教育では、体験者がいなくなれば効力を失う。
事実と経過を学ぶことの重要性=歴史を作る主権者としての主体性を養うレッスン
2,講義計画説明
今月のトピックス
陸海軍の制度機構について―「日本軍」入門―
1,「天皇の軍隊」
大日本国憲法第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
→天皇の軍隊であって、日本国政府の軍隊ではない。日本軍=国防軍ではない。
神聖不可侵の「統帥権」
→軍隊は天皇直属なので、政府・議会は一切干渉できず。予算も原則的にはフリーハンド
実際には陸軍参謀本部・海軍軍令部が天皇を輔弼(ほひつ・助ける)することで作戦を立案・遂行する。(帷幄上奏権…いあくじょうそうけん、文官を無視して軍人が直接上奏できる)
2,陸軍の階級構成
@資料1.「赤紙」とはなにか?
成年男子を軍隊に動員する召集令状のこと
A資料2.階級ピラミッド
下は二等兵から上は元帥大将まで。
軍隊も学歴社会。兵士と将校では雲泥の差があった。
3,陸軍の編成
師団→連隊→大隊→中隊→小隊→分隊(資料3)
歩兵科・砲兵科・騎兵科・工兵科・輜重科(しちょうか)→「輜重卒が兵ならば、チョウチョトンボも鳥のうち♪」伝統的な補給軽視
4,海軍の編成
戦艦…海戦時の主力、大口径の主砲を持ち、ぶあつい装甲→速力遅く、航空機・潜水艦に弱い。
巡洋艦…戦艦よりも軽量で主砲も小さく、装甲も薄いが、速力速く、魚雷攻撃も可。
航空母艦…大量の航空機を搭載できる。装甲弱く、自身の攻撃力はほとんどない。
駆逐艦…正確には軍艦ではなく補助艦。小型で高速。潜水艦狩りを主任務とする。
潜水艦…水中から敵艦を攻撃。速力遅く、装甲ほとんどなし。
連合艦隊…2個以上の艦隊を連合して編成した艦隊。日本海軍では事実上の実戦部隊。
連合艦隊司令長官(海軍大将)が作戦を決定・全指揮をとる。
満州事変・日中戦争では陸軍主体、アジア太平洋戦争では海軍が主体となって戦争は行なわれた。よって陸軍は最後まで敗戦を認めず、本土決戦に固執する。
第2講 明治維新から日清戦争まで (2006年5月28日)
本日のテーマ:「大日本帝国の誕生」
1,明治維新はなぜ起こったのか?
帝国主義列強の外圧がもたらした変革の必要性←植民地化の危機がもたらした自己変革
<明治維新の主体>
薩摩・長州を中心とする下級武士集団+新興小ブルジョア(三井など)
<その目標>
封建領主制を解体(討幕運動)→天皇を中心とする中央集権国家建設
→資本主義経済体制を確立し、欧米列強に対抗する。
2,なぜ対外膨張政策を新政府はとらざるをえなかったのか?
「不平等条約」という“足かせ”をつけられたまま、近代日本はスタートした。
1858年(安政5)日米修好通商条約および安政五カ国(蘭・露・英・仏・米)の内容
@関税自主権がない…世界最低レベルの税率を強要される。自国産業を保護できず、資本主義確立の大きな障碍に。
A治外法権を認める…外国人が日本で罪を犯しても日本の法で裁くことができない。
→「ノルマントン号事件」にみる人種差別と欧米人優遇の実態
★「不平等条約」の存在は、欧米が日本を主権国家として認めず、同じ文明国としてみなしていなかったことを示す。条約改正により、日本を世界の一等国にすること、それが明治維新政権の最大目標だった。
★苦闘した条約改正交渉
維新直後(1871年)、岩倉具視を代表する遣外使節団が渡欧し、交渉を試みるが、相手にされず。→実力を示す(国威発揚)ため、文明開化と富国強兵がスローガンに。
<歴史こぼれ話>
遣外使節団の委任全権大使となった岩倉具視はフランス、パリを訪れたとき、凱旋門に残る弾痕(パリ・コミューンによる市街戦の跡)に、内乱の恐ろしさを再認識する。日本は維新時における混乱が比較的少なく、きわめて早期的に治安を回復したことが順調な近代化をもたらした。随員に中江兆民・津田梅子らもいた。
3,清国との対立―中華帝国秩序への挑戦―
日本の対外膨張政策における第一のターゲットは朝鮮となる。
→当時、朝鮮は中国(清国)の冊封体制(中華を宗主とし、周辺国が臣従)に組み込まれていた。琉球(沖縄)も同様。
→朝鮮をめぐり、日本の対外膨張エネルギーと清国の中華帝国秩序が衝突
日清戦争(1894年)の勃発
日本のバックに英国がつく→極東における安定秩序を守るため、英国が日本を利用。
西太后が実権を握る清国は、近代化進まず、腐敗の極み。
→異民族である満州族の支配に不満を抱く漢民族には、自分たちの国を守る意識皆無。
★日本は国民一丸となって野蛮な未開国・清国を倒す、文明国と非文明国の戦いと認識
→日本の勝利。下関条約にて以下の条件を認めさせる。
@朝鮮の独立…中華帝国秩序の否定。独立は名目に過ぎず、以後日本の勢力下に。
A莫大な賠償金(二億両)の獲得…日本における産業革命(八幡製鉄所など)の資金に。
→戦争がもたらす経済的恩恵(当時の国家予算の3〜4年分)に政府・国民は有頂天に(官民双方の侵略是認・志向)。
B遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲…以後、台湾は日本領となる。
→日本の遼東半島支配に危機感を抱いた帝政ロシアが圧力をかけ、放棄させられる。
(三国干渉)→ロシアとの対立深まり、日露戦争へつながってゆく。臥薪嘗胆。
4,条約改正の達成と、アジアへの転化
アジアの大国・清国との戦争に勝利したことで、日本の国際的地位向上。
→1899年、ようやく領事裁判制度が廃止され、法権を回復する。
しかし、関税自主権は1911年、日露戦争後にやっと回復。
★逆に、欧米の不平等条約を模倣して、日本が朝鮮・清国に同様の不平等条約を押し付ける→日本はアジアとの連帯を拒否、欧米と同じ帝国主義国を目指す。
5,中華帝国の権威失墜と対中国観の激変
眠れる獅子と呼ばれた清国の敗北は、アジア周辺諸国の対中国観を変える。
→中国国内における反清朝勢力、民族意識を高める。
1895年 孫文、広州にて第一回目の武装蜂起→失敗。1911年の辛亥革命への第一歩。
→日本人の中国人観も激変
戦前は文明国として尊敬。戦後、かたくなに封建体制を維持し、近代化を拒絶する後進国に転落。福沢諭吉「脱亜入欧」
★中国人を蔑視する「チャンコロ」「チャンチャン坊主」などの言葉が生まれる。
→近代日本に学ぼうとする中国人若者も増える。第1次日本留学ブームの発生。
今月のトピックス
建軍の思想について―軍人勅諭と皇軍の誕生―
1,武士から国民軍へ
幕末、倒幕戦の主力となったのは薩長藩閥を中心とする下級武士勢力。
その大部分は藩内における最底辺層。例 伊藤俊輔(博文)・山県狂介(有朋)
さらに、長州藩にて高杉晋作らが結成した奇兵隊が活躍
→身分を問わず、一般庶民によって編成された民兵組織。被差別部落民による部隊も。
対外国戦争(馬関戦争)・対幕戦争で、近代戦における武士の戦闘力のなさ露呈。
★長州を中心に、外国・幕府から自分たちの郷土を守ろうという意欲が庶民に生まれる→ナショナリズムの誕生。
★封建社会では戦争は武士(欧州では貴族または傭兵)の特権。国民は無関係。
→フランス革命で国民国家が誕生、革命の成果(自由・平等・博愛)と国土を守る国民軍が出現。
2,百姓・町人が武士に勝つ!
維新後、新政府は順次、武士勢力の解体を進める。廃刀令(1876年)により、武士の魂も剥奪→経済的苦境にあった士族たちの猛反発
征韓論に破れ、下野し鹿児島に私兵勢力を持っていた西郷隆盛を旗頭に西南戦争(1877年)勃発→士族最強と呼ばれた薩摩兵を、徴兵制で編成された国民軍が撃破する。
★西南戦争によって、明治政府はその支配権を完全に確立。以後、反政府運動は自由民権運動など言論闘争が中心となる。実力で敗れた士族は政治的にも無力化。
3,裏切られた国民軍
幕末に活躍した奇兵隊など諸隊は、期待していた論功行賞にありつけず、続々と反乱。
明治維新は市民革命ではなく、支配者層の交代に過ぎなかった。藩閥を頂点とする新たなヒエラルキーの構築→国民軍ではなく、反乱を鎮圧する政府軍へ変質
→西南戦争への論功行賞に不満を抱いた近衛兵が反乱(竹橋事件)
自由民権運動など、軍人の中からも政治意識が高まっていく。
4,皇軍の誕生―「朕ハ汝等軍人ノ大元帥ナルゾ」―
竹橋事件に危機感を抱いた山県有朋は西周(にし・あまね)らに命じて「陸海軍軍人に賜りたる勅諭」(軍人勅語)を作る。
<要点>
@国家あるいは国民の軍隊ではなく「天皇の軍隊」であることの再確認
A天皇の統帥権を歴史的過程から説明、理論付ける。
B軍人の政治関与を厳しく戒める
→Bのみは昭和に入ってから完全に空文化される。
第3講 日露戦争から満州事変前夜まで (2006年6月25日)
本日のテーマ:「満蒙特殊権益の誕生」
1,中国分割競争始まる
列強の中国分割競争が高まるにつれ、中国民衆が「扶清滅洋」をスローガンとする義和団に結集、排外運動が発生→列強8カ国が連合軍を結成、日本軍は全体の三分の二。
<極東の憲兵としての日本>
義和団鎮圧にあたり、日本の実力が列強の間で認められると同時に極東の権益保護に利用される。日本は北京・天津での駐兵権を獲得→支那駐屯軍、のち日中戦争を引き起こす。
<ロシアとの利害衝突>
朝鮮・中国に勢力を拡大する日本に対し、帝政ロシアが圧力。まず日清戦争で日本学得した遼東半島を返還させる(三国干渉)。逆にロシアが租借し、旅順を要塞化、ハルビンと旅順を結ぶ鉄道を建設、満州・朝鮮の権益独占を狙う。
2,日露戦争開戦
<性格>満州と朝鮮の支配権を巡る日本とロシア両帝国主義国の対立。
→背後で英国が日本を支援。理由=日本にライバルロシアを叩かせる→極東の憲兵として利用(1902年 日英同盟成立)。
<経過>
陸戦では旅順攻略(乃木希典大将)に大苦戦、多大な損害を蒙り、決定的勝利なし。
海戦では1905年5月、日本海海戦にて東郷平八郎大将率いる連合艦隊がバルチック艦隊を完全撃破。講和条約のきっかけとなる。
3,ポーツマス条約
日本→国力・戦力共に限界。満州の陸軍部隊はすでに弾切れ状態。 ロシア→兵力増強していたが、士気低下・厭戦気分。国民の不満高まり革命前夜。
★日露双方、早期講和を望んでいた。アメリカ(S・ルーズベルト大統領)が仲介し、ポーツマスにて講和条約締結。(日本側 小村寿太郎外相、ロシア側 ウィッテ外相)
<内容>
@日本が韓国を保護国とすることを認める→1910年韓国併合へ
A遼東半島一部租借・長春〜旅順間東清鉄道の日本への譲渡→満鉄の誕生
B樺太南半分・沿海州その他の漁業権獲得
★事実上、領地割譲なし、期待していた賠償金も取れず。
→多大な犠牲を強いられた国民が猛反発(日比谷焼討ち事件発生)
4,満蒙特殊権益の誕生
日本、遼東半島の租借地に関東州を設ける。長春〜旅順を幹線とする計1111.4キロの鉄道を経営する南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立される。→半官半民、資本金は国家予算の約半分弱。
★鉄道沿線を警備する口実で、鉄道1Kmあたり15名の駐兵権を持つ
→関東軍の誕生、のち満州事変を引き起こす(1931年)
関東州・満鉄・関東軍を合わせて「満蒙特殊権益」と呼ぶ
→中国東三省(遼寧・吉林・黒龍江)を満州、内モンゴルの蒙。
それらの地域に治外法権・協定税率制を日本だけが独占する権益。
5,国民にとっての「権益」
日露戦争での犠牲(戦死者8万8千人)と損害(戦費18億円、国家予算の3.5倍)が、満蒙特殊権益を勝ち取った→賠償金代わりの権益。
「満州には10万兵士の血が染み込んでいる」が合言葉。国民にとっても自分たちの犠牲によって獲得した当然の権益という意識あり→強い執着心を生み出し、中国侵略を正当化する論理となる。のち、米国との対立でも争点となり、日米戦を不可避のものとする。
6,大日本帝国の成立
1910年、日本は大韓帝国を滅ぼし、日本の領土とする(韓国併合)。
1911年、ようやく関税自主権を回復。明治維新以来のコンプレックス解消。
→アジア唯一の帝国主義国として,世界レベルでの競争に参戦.東アジア・太平洋の支配権を巡り、欧米との対立が続く。(アジア太平洋戦争への道拓く)
7,目覚める獅子・中国―辛亥革命・五四運動―
1911年 辛亥革命、清朝崩壊し中華民国誕生。孫文率いる国民党が中国の統一と列
強への抵抗を目指す→中国における近代化の幕開け
1914年 第1次世界大戦勃発。日本、日英同盟により参戦。ドイツ領の山東半島を占領。翌年、中国に対し二十一か条要求を提出
★山東省支配と、満蒙特殊権益の独占の固定化を狙う二十一か条要求に対し,中国国民激怒,初の大規模なデモ・五四運動発生。
朝鮮でも三一独立運動発生、日本、武力鎮圧する。
→列強・日本の侵略に対し、中国朝鮮でも自国の独立と利益を守ろうとするナショナリズムが生まれる。
今月のトピックス
日本海海戦と大艦巨砲主義
1,東郷平八郎と連合艦隊
東郷平八郎(1847‐1934)薩摩出身。戊辰戦争に参加。英国留学を経て帝国海軍の創設に尽力する。日清戦争では艦長として、日露戦争では連合艦隊司令長官として海軍全体の指揮にあたる。
連合艦隊・・・日本海海戦時の旗艦は戦艦三笠(現在も横須賀港にて保存展示。)
→参謀・秋山真之の考案したとされるT字戦法にてロシア・バルチック艦隊を全滅させる。
2,日本海海戦勝利のもたらしたもの
艦隊同士の決戦が、勝敗を決定するという「艦隊決戦主義」が固定化する。
→他国よりも大きな口径の大砲を搭載する戦艦を一隻でもたくさん持つことが重要
海軍、議会に莫大な軍艦購入予算を要求。
→八八艦隊構想・・・戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻で編成する艦隊。
日露戦争後、仮想敵国となった米国に対抗するため。
★日本海軍の対米戦計画
日本と米国では国力に開きがありすぎ、長期戦は不利。短期決戦で有利な講和に持ち込む。→連合艦隊が海戦で米国艦隊を撃破し、講和に持ち込む
(日露戦争の戦略・戦術をそのまま踏襲)
海軍、世界各国に負けない大艦隊を構想する(大艦巨砲主義)
3,ワシントン体制下での軍縮
無制限の建艦競争に国家財政上の危機感を感じた米国が主導する軍備制限の国際協定が結ばれる(第1次大戦の戦後処理を行なったワシントン会議1921〜1922)
主力艦(戦艦など)の保有率
米5・英5・日3、日本は米国に対し対米7割を強調したが、抑えられ、6割に。
★それぞれの国力に見合った軍備の制限。むしろ相手を縛る条約。
→海軍、建艦制限に猛反発。「艦隊決戦に支障あり」
海軍の長老・東郷平八郎も反発。のち妥協して「訓練に制限なし」
→量より質を目指し、海軍は「月月火水木金金」の猛特訓。
<昭和海軍への影響>
東郷は昭和に入ってからも最長老として海軍の人事に影響力を持つ。
艦隊派と航空派の派閥争い激化
艦隊派…航空機よりも巨大戦艦を作るべし。戦艦大和・武蔵の建造
航空派…航空機の発達を予測、制空権が海戦での勝敗を決するとする。
★山本五十六・井上成美らは三国同盟反対・対米戦反対派は航空派。
第4講 満州事変と日中戦争の始まり
本日のテーマ「満蒙を領有すべきか、放棄すべきか?―石橋湛山V.S石原莞爾―」
1.中国国民革命の進展
1926年、蒋介石率いる中国国民党軍は大陸統一を目指して北伐開始。ナショナリズム一気に高まる←日本、満州への影響を危惧する。
日本、満蒙利権を確実に守るため、直接支配を狙う
→邪魔者となる現地支配者・張作霖を爆殺。しかし、満州占領には至らず、逆に、後継者となった張学良は抗日を決意。国民党に接近する。
2.満鉄の経営危機
国民政府、満鉄と大連港(日本支配下)に対抗できる民族資本の育成に力を入れる。世界恐慌の影響もあり、満鉄、経営危機に陥る。←満蒙特殊権益の危機。
★満蒙問題の発生。満蒙経営をどうするか?日本国内で論争発生。
→明治以来の大陸政策をめぐる転換点。大陸侵略に深入りする(十五年戦争への道)か、貿易立国(戦後日本の歩んだ道)を目指すか、の分かれ道。
3.満蒙放棄論―エコノミスト・石橋湛山の構想―
東洋経済新報の記者、ケインズ経済学を学んだ自由主義的エコノミスト(1884−1973)
→「満蒙問題解決のために満蒙をむしろ放棄すべき。植民地の維持には膨大なコストがかかりすぎ、逆に日本の国力を損なう」と満蒙放棄論を主張。
★植民地経営の大日本主義ではなく、欧米と協調し貿易立国の小日本主義を目指す。
当時としては画期的な構想。満蒙から得られる利益よりも、欧米との貿易利益の方がはるかに上回っていることをデータから実証する。
→「日清・日露の犠牲を無駄にするのか」という感情論に対抗できず。
戦後、石橋は政界入り、短命ながら石橋内閣実現。日ソ・日中友好に尽力。
4.満蒙領有論―陸軍の異才・石原莞爾の構想―
関東軍参謀・石原莞爾(1889−1949)は日蓮宗信仰から発する独自の歴史観を持つ。
→「近い将来、東洋文明の代表日本と西洋文明代表の米国が、世界支配をめぐり大戦争となる。これが人類最終戦争となる」と世界最終戦論を主張(今日でいう文明の衝突)
最終戦争に備えるため、日本は満蒙を領有し、国力を蓄える必要あり。
(同時に、日本陸軍最大の仮想敵国・ソ連の南下に備える)
★満蒙領有のためには、関東軍が独断専行して既成事実を作り上げ、日本政府を引っ張ることも辞さない。→目的のためならいかなる手段も正当化、軍ファシズムの論理。
5.石橋湛山か、石原莞爾か?―両構想の比較検討―
石橋構想の問題点
世界恐慌期に欧米が採用したブロック経済下で、貿易立国は不可能だった。
→英国は植民地内での経済循環、米国は孤立主義に加え、ニューディール政策に活路。
ソ連は計画経済のため無関係。中国は混乱続き、市場として未成熟
★果たして満蒙放棄は日本の経済危機を救ったか?
石原構想の問題点
満蒙の領有は中国のナショナリズムを煽る。石原の対中国評価不十分。結果、満州のみにとどまらず大陸全体へ戦火波及。石原自身は満州を日本の傀儡とせず、独立国とする構想。日本の財閥進出を忌避。→国際社会的にも満州国は受け入れられなかった。
★一参謀によるプランの強行は軍の独走という悪い前例を作る。以後、軍部では中央の意向を無視し、独断専行する傾向が強まる。天皇・政府も追認し助長する。
6.満州事変の勃発(1931年9月18日 柳条湖事件)
石原莞爾・板垣征四郎(A先戦犯、絞首刑)両関東軍参謀によって、満鉄線を部分的に爆破、中国軍の仕業と断定して張学良軍に攻撃を仕掛け、一気に満州全土制圧。
→鉄道網などインフラの整備が短期間での制圧を可能にした。(柳条湖事件)
★国際世論猛反発。関東軍、世界の目を満州からそむけるために、上海で反日暴動を起こす(上海事変)→その隙に清朝ラストエンペラー・溥儀を担ぎ出し満州国建国。
7.リットン調査団
国際連盟、リットン調査団を送り込む。
結論@柳条湖事件は日本の自衛行動と認められず。
A満州国の建国も自発的なものではない→日本の傀儡に過ぎない
B日本を主とする列国共同管理案を提案。
→日本、猛反発。連盟脱退へ(1933年)
8.日本の国際的孤立と大陸侵略の本格化。
連盟脱退時の全権大使は松岡洋石(1880−1946 A級戦犯)。満鉄総裁を歴任、
「満蒙は日本の生命線である」が当時流行語となる。
日本の強引な満州占領と大陸市場の独占は、国際社会の反発を生み、連盟脱退により日本の国際的孤立は深まる→ドイツ・イタリアへの急接近。
関東軍、さらに万里の長城を突破して河北省まで侵攻。国民政府、やむなく非武装地帯を設け、日本と妥協(塘沽停戦協定 1933年)。
★一方、日本国内では犬養毅首相が海軍士官に暗殺される5・15事件(1932年)発生。
政党による議会政治を否定し、軍部による政治介入が深まる。
→国際的孤立・軍部台頭・大恐慌により、日本は戦争への道を歩んでゆく・・・
今月のトピックス
2・26事件について―統制派・皇道派の派閥抗争と軍部独裁―
1.陸軍内部での派閥抗争
1930年代、陸軍では2大派閥に分かれて対立。
皇道派…中心人物 荒木貞夫(A級戦犯)・真崎甚三郎両陸軍大将と青年将校(20代〜30代の尉官クラス)。議会政治を否定、財閥と政党の癒着が日本の政治を歪めていると考え、武力で政権奪取、天皇親政の実現をはかる。
統制派…中心人物 永田鉄山(軍務局長)・東条英機ら主に佐官など中堅クラス。陸大出身者がほとんどの軍エリート集団。
合法的に権力奪取するため、政財界に接近。ただし、究極的にはソ連計画経済型の統制経済を理想とする。政経双方を軍部が管理、欧米に対抗できる高度国防国家建設を目指す。
★皇道派・統制派共に、議会政治を否定し、軍部独裁を目指す点では共通している。
2.2・26事件の発生とその背景・影響
<事件の経過>
1936年2月26日、皇道派青年将校22名が1400名余の兵を率いてクーデターを起こす。
直接的な原因は、皇道派リーダーの一人・真崎大将の教育総監罷免にみる統制派の台頭と皇道派の拠点である第1師団の満州派遣を「統制派による皇道派追い出し」とみての反乱。斉藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎陸軍教育総監を射殺。鈴木貫太郎侍従長(敗戦時の首相)重傷。陸軍省・参謀本部・国会・首相官邸を占拠。
陸軍首脳は軍部独裁の好機とみて、青年将校支持に一時期回るが、昭和天皇が断固鎮圧を命令。「陸軍が動かないのであれば、朕自ら近衛師団を率いて鎮圧にあたる」と激怒。
青年将校たちは反乱軍とされ、東京市街戦の危機に。
→戦闘を避けるため、青年将校帰順。軍法会議で首謀者銃殺刑。『日本改造原理大綱』の著者で理論的指導者とされた北一輝も処刑される(実際には関与せず)。
<事件の影響>
皇道派が完全に中央から追い払われ、東条英機・梅津美治郎(最後の参謀総長)ら統制派が完全に軍の主導権を握る。軍部の意向に沿わない政治的決定に対してはクーデターも辞さない、という悪い前例ができあがる。
→軍部独裁のチャンスを狙う統制派が、わざと青年将校をけしかけた、とする説もあり。
★粛軍の名目で軍部大臣現役武官制(現役軍人のみを陸海軍大臣とする)が復活、不満があれば大臣を選出しないことで内閣をつぶすことのできる手段を陸海軍は握る。
→以降、統帥権独立と軍部大臣現役武官制・クーデターの危機が軍部独裁を支える三大武器となる。日米開戦と「終戦」決定の際にも最大の圧力となってゆく。
第5講 泥沼の日中戦争と抗日ナショナリズムの高まり
本日のテーマ 「内戦停止・一致抗日」
1.華北分離工作―中国北部へ広がる戦火―
塘沽停戦協定にも関わらず、関東軍は華北への占領地拡大を企図する。
占領目標地域→河北・山東・山西・チャハル・綏遠の華北五省。
その目的@華北から満州へ侵入する反満抗日ゲリラを一掃する。
→特に満州から追い出された張学良率いる東北軍を叩く。
A対ソ戦に備えるため
→満州国成立に脅威を感じたソ連は極東軍備増強。満州国を安定化させる
ためにも華北を制圧する必要あり。
B華北の資源・市場獲得
→国際連盟脱退により、満州を中心とする資源供給体制構築が必要となる。
満州のみでは不足、河北省の鉄、山西省の石炭そして豊富な人口を確保。
★防共・満州防衛・資源と市場獲得が華北分離工作の目的
→朝鮮防衛のために満州占領、満州防衛のために華北、やがて中国全土へ、と果てしない侵略の連鎖が繰り返されてゆく。
2.冀東防共自治政府の成立
1935年、関東軍と支那駐屯軍によって、塘沽協定非武装地帯に設置された傀儡政権。
日本が満州のみならず、華北にも侵略を開始したことで、中国全体の民族的な危機感を煽る結果をもたらす。
3.毛沢東と中国共産党
1921年、陳独秀らによって上海にて結成。1924年、国民党と連携(第一次国共合作)。
→1927年、北伐中に蒋介石が反共クーデターを実行、国共内戦状態となる。
都市ブルジョアを支持基盤とする蒋介石は抗日戦より反共を重視、結果として日本の華北分離工作を助長することとなる。
<毛沢東の権力奪取と長征の開始>
共産党、華中を中心に根拠地を作るが、都市を重視する教条主義的な路線の誤りもあって国民党の包囲殲滅作戦に敗れる→国民党側にはドイツ軍事顧問団の指導あり。
→国民党の攻撃から逃れ、新たな根拠地を作るために大移動、長征開始(1934年)。
★1万2500キロに及ぶ大移動、実態は悲惨な敗走に過ぎない。
道中で、コミンテルンから派遣されたモスクワ派を破り、毛沢東が実権を握る。
周恩来・朱徳らも支持。
<毛沢東の戦略>
@農村を重視。農村に根拠地を作り、都市を包囲する→中国の現状に沿う戦略
Aゲリラ戦術の徹底→装備に優れる国民党軍と正面から戦わず、ヒットアンドラン戦。
B民衆の信頼を獲得→宣伝工作で抗日勢力を糾合する。ナショナリズムを活用。
★1935年8月1日、長征の途上で共産党「抗日救国のために全同胞に告げる書」を発表、国共内戦停止と抗日民族統一戦線結成を訴える。
(八一宣言、のち中国人民解放軍建軍記念日となる)
4.西安事件の発生と第二次国共合作の成立
張学良率いる東北軍内部でも内戦停止・一致抗日の声が高まる。張学良、密かに共産党の周恩来と提携、西安に視察に来た蒋介石を監禁し、第二次国共合作を成立させる。
→日本、国共接近の動きにまったく気づかず。華北における市場独占(密貿易を含む)により、米英との対立深まる。
★米英、中国へ軍事・経済両面での支援を開始する。国際的孤立により、日本、よりいっそう満州・華北への依存を高めていく。
5.盧溝橋事件―日中全面戦争開始―
1937年7月7日、盧溝橋周辺で演習中の支那駐屯軍、中国軍の銃撃を受ける。実際の損害がなかったにもかかわらず、牟田口廉也連隊長(のちインパール作戦を指揮)が報復を命令。軍中央は拡大に慎重で停戦協定成立するが、近衛文麿内閣、戦線拡大を決定。
→政府によって軍が引きずられる逆パターン。一撃で中国は屈服するだろうという楽観論による。石原莞爾、慎重論を説くが、武藤章ら中堅参謀の突き上げに屈する。
★盧溝橋事件は中国共産党による謀略説あり。抗日戦を自分の勢力拡大に利用した一面あり。→日本と国民党の連携を最も恐れていた。
6.戦争の長期化と戦争犯罪の続発
日本政府は「暴戻なる支那軍を膺懲する」として華北総攻撃および、上海へ出兵。
→日本の華北支配に対する欲望と、高まる中国ナショナリズムが衝突した。
1937年末までに日本、華北と内蒙古の主要都市・鉄道を占領、華北に中華民国臨時政府 、内蒙古に蒙古連合自治政府を設立。いずれも支配のための傀儡政権。
→順調に進んだ華北に対し、華中、上海では苦戦。補給も続かず。
★「南京大虐殺」の発生
被害者の実数については様々な議論あり。統計の不備から実数出せず。「まぼろし論」は現在完全否定されている。→補給の不足による士気低下、中国人蔑視などが背景にあった。
今月のトピックス
731部隊と細菌戦・人体実験の実態
1.731部隊と石井四郎軍医中将
1936年に編成された日本陸軍の細菌戦部隊を731部隊と呼ぶ。731は秘匿名称で、正式名称は「関東軍防疫給水部」ハルビンに本拠地を設置。
<石井四郎という人物>
京都帝大医学部卒。早くから細菌戦に注目、永田鉄山軍務局長らの後援を得て、731部隊を創設する。「防疫給水」は表向きの任務。独自に開発した「石井式濾水器」を使って前線部隊に浄水を供給する。組織力に優れ、部隊の幹部には京大学閥と親戚で固める。
<細菌戦とは?>
ウイルスも含めるので厳密にいうと生物戦。コレラ・赤痢・ペスト菌を人工的に培養し、砲弾・爆弾に搭載あるいは食料品に注入して敵地へ散布し、伝染病を人為的に発生させる。
長所…@低コスト。寒天や実験器具などで培養可能。
A秘密裏に作戦を遂行できる→自然発生の流行か、人工か、あいまい。
B防衛策として新しいワクチンの開発が可能→自軍兵士のみ抗体を作る。
短所…@気象条件に左右される→冬は特に効果が薄い。
Aコントロール困難…ネズミやノミを使った感染媒体の場合。
B戦果がはっきりしない…一般銃火器ほどのめざましい成果は出ない。
<人体実験の実態>
731部隊では「マルタ」(丸太)という名称で呼ばれる中国人・白系ロシア人捕虜を対象とした人体実験が実施されていた。被害者数3000名以上、実数不明。
@各種細菌の苗床にする…ペスト菌・コレラ菌を注入し、感染させる。感染の経過を明らかにするとともに、治療法や抗体開発に利用。
A凍傷実験…両手に水をかけ、零下数十度の野外に放置、重度の凍傷にして研究する。
B真空実験…気圧を調整できる室内で実験。人体の耐えられる気圧限界を研究。
C銃傷・爆弾による負傷の実験…手足を棒に縛って固定し、銃撃あるいは爆弾を爆発させ、負傷の程度と治療法を研究。
体験者によると、現代の遺伝子操作を除く、ほとんどすべての医療実験が実施されたという。戦後発表された医学論文にも活用された例あり。
2.米軍と731部隊の関係
敗戦により、石井はマルタ・実験器具などすべてを処分、膨大な資料を日本に持ち帰る。731部隊の存在は米ソも探知、資料獲得に乗り出す。石井、米軍と「資料を全面提供する代わりに戦犯免責」の協定を結ぶ。→今日も証言以外、一切の証拠資料なし。
★生物化学兵器の研究は日本を含め、今日も世界各国で続けられている。





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朝市(瑞穂区台湾
















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