2007年02月05日

大庭乱の台湾旅行記―あるいは美麗島見聞録―完結編

M再見!美麗島
 台湾最後の夜はこうして更けていった。Tさんの友人が近所の名所を案内してくれると言ってくれたが翌日朝早いので、鄭重に辞退する。
 いったいにM氏にしろTさんにしろ、さすが貿易に携わっているだけあって外国人の接待には慣れている。というより家族も含めてごく自然体で接してくれるのがありがたい。

日本人のように人見知りをせず、好奇心満々といった様子。レストランも良くも悪くも気取らない、ごく庶民的なお店を選ぶ。面子を尊重して一応ご馳走してもらう立場上、こういったカジュアルな場所だとあまり気兼ねしなくてよい。もちろん、相応のお土産は渡しているのだが、外国人客だからといって高級レストランに連れて行かれると気まずい。
 このあたり、日本人の場合はどうか?外国人を案内する時、奮発して懐石料理や回らない?寿司屋に行ったり、普段縁のない歌舞伎や能見学へ連れて行ったりしてはいないか?

もちろん、時間と予算に余裕があるのならそれもよい。しかし、変にかしこまって行儀よく接待するよりも、フランクに生活習慣の違いや家族紹介をする方が、招待を受ける側もリラックスできる。食事も現地の人間が普段食べるものに少し色をつけたくらいでいいのではないだろうか?

 アメリカにおける日本文化研究の第一人者・ドナルド=キーンがエッセイで書いている。かいつまんで記せば、日本好きだからといって外国人に歌舞伎柄のハンカチやらグッズを贈るのはやめて欲しい、ごくありのままの日本を見せて欲しいということである。歌舞伎・能・懐石料理や茶道が日本の誇る伝統文化であることはいうまでもない。しかし現代の平均的日本人の生活にどれだけ溶け込んでいるというのか?まして普段洋式の生活スタイルで米飯よりパン食の方が多い若者にとって、それら伝統文化は外国人と同じくらいなじみのない世界なのである。

 外国人に日本の文化を紹介するな、といいたいのではない。問題は、にわか仕込みの泥縄知識ではなく、ありのままの、自分たちの生活文化を紹介し、身の丈にあった範囲で外国人を接待するべきだということである。
 外国人がやってくる、というだけで妙に構えてしまう日本人、それは自らの気負いすぎによる構えにすぎないのではないか?ボーダーレス化の進む21世紀の今日、日本を観光目的で訪れる外国人は激増している。彼ら・彼女らを迎える時、もっとリラックスして、カジュアルな雰囲気で迎えてもよいのではなかろうか?日常生活レベルでの相互理解が深まった上で次のステップとして伝統文化理解へ進むべきであろう。

 帰国当日、午前10時のフライトということで朝5時起き、6時にタクシーで空港へ出発する。タクシーから降りるとき両親が「謝謝!」というと、朴訥そうな中年の運転手が「みんな中国語しゃべれるんだ・・・」とぼそっと言った。これがコトバの力である。欧米の国家元首クラスが外国訪問の際、それがたとえ使用人口の極端に少ないマイナー言語であっても事前に勉強し、スピーチの冒頭で使ってみる。それが拙いものであってもそれだけで聴衆に好感情を与える。コトバを学ぶというのは相手を理解する第一歩である。

たとえ自分の母語でいかに知識を身につけ、表現したところで、それは真に理解したことにならない。英語の話せない英文学者・中国語の話せない中国政治研究者というのはそれ自体がナンセンスである。そういったまがい物でも通用したのが今までの日本である。
 ひとことでもよい。外国を旅するのであれば、その国のコトバを覚えて使ってみるべきである。不完全な文法・発音であってもかまわない。語学習得の目的はあくまで意思の伝達・コミュニケーションの達成にあるのだから。

エピローグ〜なぜ私はペンを取ったか?〜
 長々と書き綴ってきたがこのあたりでエピローグとしたい。たった4日間の駆け足であったがずいぶんと充実した、実のある旅行であったと思う。基本的に旅が好きなのである。国内外を問わず、いかなる地域を訪れてもその土地に刻まれた歴史があり、歴史のない土地では代わりに豊かな自然がある。サイパン島のように風光明媚かつ現代史の重大な刻印を持つ島もある。

よく人は「旅は日常から解き放たれて、非日常を体験できるからよい」というが、私は全く共感できない。日常があるから非日常がある。日常を怠惰、無目的に過ごす者は旅に出ても怠惰で何の収穫を得ることもできないであろう。

 日常で台湾の歴史を学び、語学を学び、実際現地を訪れ史跡を見て確かめる、会話を実践してみる、といった準備と実行が必要なのである。「あれがおいしかった、これが安かった」といった小中学生の修学旅行レベルの感覚では旅は何ももたらさないであろう。
 さらに、旅は行って帰って終わり、ではない。見聞を文章にまとめ記録することで、体験を知識として集積できるのである。時間は流れ行くもの、誰にも過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。また人間の記憶ほどあいまいなものはない。無力な人間が無情な「時間」に立ち向かう手立てはただひとつ、記録にとどめること、である。

 よって、今回はこの場をお借りして私的ながら旅行記を連載させていただいた。今後も何度か台湾を訪れるときもあるかと思う。その都度、旅行記を読み返し、より多く豊かな収穫を得ることができるようにしたい。次回の旅行準備のために私はペンを取ったのだ。

 最後に今回航空チケットからホテルまで手配をお願いした村山会長と桑山理事、多忙なところ貴重な時間を割いてご馳走してくれたM氏とご家族、Tさんと娘さん、友人ご一家に厚く御礼申し上げます。
 私事ながら、ハードスケジュールおよび、偏った?見学コースを黙々とこなしてくれた我が両親に感謝する。これに懲りず、愚息に通訳ガイドのチャンスを与えて欲しい。

 再見!美麗島。


2007年2月3日
大庭 乱

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2007年01月29日

大庭乱の台湾旅行記―あるいは美麗島見聞録―E

L台湾最後の夜
 なんとか母のお気に召すようなスカートを買って、ホテルへ戻る。台湾最後の夜は筆者の勤務する会社の取引先とのディナー。不肖・大庭はタオル会社に勤務しているので大陸・台湾メーカーの取引先は非常に多い。もっとも輸入関係のセクションではないので、中国人が来社しても直接の接点はない。大手メーカーなら最低一人は日本語の堪能な中国人がいる。ごくまれに日本語のレベルが不十分であったり、全く話せない上に通訳をつれてこない場合は大庭がピンチヒッターとして通訳にあたることもある。

 基本的に、日本語でのコミュニケーションに事欠くようなメーカーは中小企業であるか、かなり大陸奥地であることが多く、往々にしてこういったメーカーは品質に問題があると決まっている。安いことだけが取り柄。しかしかといって日本語堪能なスタッフがいて、安定して高品質な製品を供給できるメーカーは価格がうなぎのぼりとなる。安くなければ輸入品のメリットがない。なおかつ、いまや中国の大手繊維メーカーの日本離れ、欧米志向は年々露骨となっている。小ロットで品質管理にうるさい日本よりも、大ロットでアバウトな欧米の方がやりやすいのはいうまでもない。

 となると、価格と品質双方で折り合いのつく中小メーカーを発掘する必要に迫られてくる。現在のところ、大連のあるメーカーがそれに該当し、担当者の日本語が(留学経験者であるにもかかわらず)不十分であるため、不肖・大庭が商談・連絡の通訳を担当させていただいている。おかげで非常に勉強になって助かっている。やはり通訳はとにかく場数を踏むに限る。通訳をしたからといって給料が増えるわけでもないし、本来の職務を完璧にこなしてからの話だが、金銭には換えられない貴重なキャリアを積ませていただいている。このあたりは働きながら学ぶスタイルである以上、地道に積み重ねていくしかない。

 さて、今回社長と先輩から紹介してもらった台湾メーカーはTさんという50代の女性である。わが社とは20年来の取引で、台湾メーカーの中ではもっとも頻繁に来社する人物。日本語も堪能で、面倒見がいいことから、社員が個人で台湾旅行した時に世話してくれたりと、友好的な関係を保っている。といっても直接タオル工場を経営しているわけではない。アニメキャラクターなどの版権を所持していて、Tさんを経由してベトナムの工場で生産している。正直なところ台湾現地で生産したらコストが高くてとうてい商売にはならない。

 台湾へ出発する前に国際電話で連絡を入れておく。日本なら年末年始の来客は遠慮したいものだが、台湾では普通の休日と変わらない。もし春節だったら門前払いも仕方がない。
 ホテルロビーで待ち合わせすることになっているが、娘さんも連れてくるということなので母とホテル内の花屋で花束を買うことにする。M氏一家とのディナーの時も奥さんに花束をプレゼントしたのだが、どういうわけか「女性向に」と頼んでもピンクや赤の花束にならない。今回も10代の女の子向け、と注文したのになぜかひまわりをメインにした黄色系の花束が出てきた。このあたりの色彩感覚、色に対するイメージが日本人と大きく異なっている。ゆえにタオルのデザインも中国人に任せることはまずない。中国人の好む色彩で作ったらまず日本では売れない。
 面識もなく顔すらみたことのないTさんがうまく発見してくれるか、と少し心配だったがやはり日本人とわかるようでうまくランデブー。一応、名刺交換し確認する。

 小柄でぽっちゃりしたTさん。顔も服装も日本のオバサンとほとんど変わらない。買い物袋提げてスーパーにいても全く違和感のない、といったら失礼になるかもしれないが、逆を言えば日本人にとって親近感のある人物であるからこそ、順調に日本とのビジネスを続けてこられたのかもしれない。

 今夜のディナーはTさんお勧めのジンギスカン料理。なんとホテルのまん前にある。Tさん以外に高校生の娘さんとTさんの友人夫妻とその娘さん。大変な大所帯である。
 Tさんの娘さん、ブロンドの髪で色白、どうみても白人。なんでこのオバサン(失礼!)が?と思ったが実はご主人がアメリカ人とのこと。日本留学中に出会ったらしい。では家庭では英語?中国語?と思いきや、なんと日本語で会話するとのこと。もっとも娘さんは中国語オンリー、実に複雑な家庭である。

 Tさん、なんと天理大学卒業。なんでまた天理大?と不思議に思う。平均的な日本人のイメージとしては天理大といえば付属高校の野球部が思い浮かぶ。歴史学の分野では天理大学図書館といえばその所蔵古文書の豊富さで名がとどろいている。さすがトヨタみたいに市の名前まで変えた天理教団、経済力が違う。なぜ、よりによって天理大を選んだのか?と聞くとTさんも同級生である友人も天理教信者と聞いてこれまたびっくり。中山みき教祖の「お筆書き」の中国語版をぜひ読んでみたいものである。

 ジンギスカン料理、オールセルフサービスというきわめてアットホームな店で、自分で肉や野菜を皿に盛って厨房へ持っていくと料理人が巨大な鉄板で焼いてくれるというスタイル。日本からのお客さんもよく連れてくるとのこと。中国語で言うところの「入郷随俗」(郷に入れば郷に従え)なので、それはそれでよいけれど、両親など日本の中高年の感覚からするとセルフサービスの店を接待に使うのは抵抗感がある。
 とはいえ、わが社でも来社する中国メーカーに優先順位をつけており、めったに来ない中小メーカーの場合はカレーのチェーン店などに連れて行っているので大きなことは言えないが。

 今回はTさんも友人も日本語堪能なので通訳の出番はなし。ひたすら食べることに専念。両親も日本人と話すのと変わらないリラックスした雰囲気でTさんとおしゃべりする。このあたり、本当に女性は天性の外交官と痛感する。M氏一家とのディナーでも感じたが、女性はやはり民族は違っても子育てや家事など共通する話題が多い。女性同士で特に年齢が近いほどうちとけるのも早い。実は先輩から紹介してもらった台湾メーカーがもう一社あったがそちらは男性だったので、Tさんを選ぶことにした。やはり、女性がいると雰囲気の華やぎがある。国家元首の表敬訪問時にファーストレディ同伴というのもうなずける。

 この点、日本人男性はどうか?仕事以外となるとギャンブルやゴルフなど、日本人同士でしか通用しない狭い視野しかもてない人間が多いと思う。「中国人はなかなか胸襟を開かない」と愚痴るのは語学力不足以前に、視野の狭さ、素養のなさに起因しているのでは、と反省する必要がある。
 話が飛ぶが、そういえば胡錦濤国家主席のファーストレディというのは一度もお目見えしたことがない。中国人に尋ねたところ「夫は夫、妻は妻。自分自身の仕事に専念するのが当たり前。出てきても公私混同に過ぎない」とのこと。かつて江青(毛沢東夫人)が権勢をふるった過去があるせいか。

ニックネーム masa at 13:01| Comment(1) | 文化部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

大庭乱の台湾旅行記―あるいは美麗島見聞録―D

J基隆からの帰り道

 凧博物館を後にするとちょうどランチタイム。近くのロッジ風のレストランへ入る。ベランダのある洒落た雰囲気なのになぜか客の姿はない。大庭家の貸しきり状態。軽くサンドウィッチでもつまみたいところだが、メニューはすべて中華料理。やむなく三人ともチャーハンにする。このあたりがアンバランス。外見だけは観光化が進んでいるのに中身が伴っていない。オリンピックなど大規模な国際的イベントが開催されて外国人が押し寄せるようになれば多少柔軟性と多様性が生まれてくるとは思うものの、台湾が置かれた政治状況を考えるとそれも難しい。

 食事を終えてタクシーを拾うおうとしたがなかなかつかまらない。台湾のタクシーは全てイエローの塗装で、ほとんど日本車である。韓国や大陸と異なり、台湾では日本車が圧倒的なシェアを占める。空振りを重ねること数回、ようやく一台捕まえる。ところが先客二名。ところが運転手、「構わないから乗れ」という。どうみても運転手を含めて5人乗りがせいぜいのところへ無理やり6人詰め込む。しかも先客の一人は控えめに見積もっても1.5人分くらいありそうな太めの女性。このへんはなんともおおらかなところである。こんな経験、日本ではまずないだろう。身動きできない状態で出発。 

 当初は朝と同じく瑞芳駅へ戻って電車で台北へ帰るつもりだった。しかし運転手がしきりに「基隆から台北市内直通のバスが出ている、その方が安上がりだ」と勧める。なおかつ、ホテルの位置を説明するとホテル近くのバス停まで教えてくれる。言葉が通じるせいか実に熱心に勧めてくれるので従うことにして、基隆へ向かう。
 道中、運転手と助手席の男性客は全て台湾語で話しているので全くわからない。女性客は比較的きれいな北京語を話すが、運転手はかなりナマリがきつい。基隆駅について降りる時、運賃をきいたら「四」なのか「十」なのかよくわからないくらいShiの発音が曖昧。南方系に多い癖である。これに慣れるには現地で生活するしかないが、ナマリがうつりそうであんまり試みたくない・・・。

 途中、基隆市内で日本でいうところの霊柩車と葬列を眼にした。個人の遺影をでかでかとクルマの荷台に掲げ、花を飾ってなにやら盛大である。運転手に尋ねる前はお祭りかと思ったくらい。天寿を全うしたのなら、このくらいにぎやかに見送っても良いのかも。
 基隆駅からバスに乗り換え。これが実に厄介である。切符は簡単に買えるのだが、台北市内への乗車口がわかりにくい。日本でもわからないくらい、本当にバスというのは不便な乗り物である。ところが、ここでもどこからか助っ人が現れる。尋ねてもいないのになぜか近くの乗客が「こっち、こっち」と教えてくれる。何で行き先がわかるのだろう?公安関係のスパイでは?いや、旅は道連れ、世は情け、か?

 なんとかバスに乗り込んだが、今度は停車するバス停の案内というものが車内にない。電光掲示板もなければ、アナウンスすらない。どうやって目的地で降りるんだ?しかたがないので走行中、隣の若い女の子に「降りる停留所がわからないから、〜へ着いたら教えてくれ」と頼んだが「私にもよくわからない」とつれないお返事。どうやら眼をサラのようにして外を見張っているしかないらしい。結局、ホテルから少し離れたところで下車。
台湾のバス会社幹部は一度、日本のそれを視察に訪れるべし!

Kショッピング
 ホテルにもどるとしばらく時間が空いたので、買い物に出る。お土産の買出し。母が「唐装に合うスカートが欲しい」というので、お供することにする。最初に訪れたのは台北現地資本の地元デパート。母のいう黒で長めのスカートというのが店頭に見当たらない。台湾ではスカート自体が若者の服装で、かつ短めのものが流行りとのこと。だいたい、中国人女性はあまりスカートをはかないのである。特に北方系はスマートなのでジーンズをはいてもラインがきまる!「日本系のデパート・そごうへ行けば売ってる」と店員のアドバイスを受け、最近オープンしたばかりの台北そごうへ向かう。

 日本国内では黄昏ムードのそごうだが、台北ではどこを吹く風。店内のデザインは日本と全く変わりなし。インフォメーションセンターやエレベーターガールまで配置されていて、中国語のアナウンスがなければ日本国内かと錯覚してしまうほど。すさまじく混んでいたので両親とせっせと階段を昇る。
 生鮮売り場もあり、ラッピングも日本と同じで全く違和感がない。デパ地下まである。これなら普通の日本人でも生活できそう。そういえば台湾に来てから値段交渉をして買い物をしていない。大陸なら日常茶飯事のだましあい?的な掛け合いをしていない。なんとなく人も街ものんびりした雰囲気で、あまり談判しようという気分にならないのだ。気分的には1970年から80年くらい、つまり筆者の幼少のころのような街の風景である。

 今回はお忍びではなく「台湾へ行って来る!」と宣言してきたので職場などにお土産を買い込む。中国旅行の場合、味覚の違いに悩むところである。実際、会社に来る中国メーカーのお土産も残念ながら社員の味覚に合わないことが多く、非常にもったいない。そこで日本出張慣れした中国人の場合、日本に着いてからお土産を調達する。なので上海から来たのにお土産は「浜松のウナギパイ」なんてことも。
 そごうの地下ではなんと日本の和菓子まで売っている。台湾人には淡白すぎるのでは?それとも日本人向けなのだろうか?でも見たところ日本人客はほとんどいない。団体観光客が来ることはまずないだろうし。
 話が前後するが二日目、故宮博物院の帰りに台北市内の竜山寺を参詣した。北海道と同じく台湾には伝統建築がほとんどないのでレアな建物である。

 その帰りに近くの商店街を散策した時、野外カラオケ大会が開催されていて、なんと日本の演歌を日本語で歌っていた(何の歌かは知らない)。まず韓国や大陸ではありえない光景である。日本式のデパートに客が押し寄せ、日本式の制服を着た店員が迎え、野外では演歌を歌う台湾人たち。韓国のように文化的アレルギーや、植民地時代のトラウマを思い出すことはないのだろうか?あるいはこう懸念することじたいが「自虐的」なのかもしれないが。

 「豊かな日本」への憧れが「日本化」に拍車をかけているともいえるが、「脱大陸」の潜在的意図もあるらしい。台湾人にとっては北京語自体が外来語であり、日本人の意識するところの「中国的なるもの」(チャイナドレスなど)のほとんどが外来文化である。それらの多くは国民党とともに台湾へ侵入し、一種の文化的侵略と台湾人は受け取っていた。しかし、かといって日本と国民党どちらの統治にせよ、それ以前のオリジンというものもない。そこで「豊かな隣人」日本への回帰が発生しているのではなかろうか?

ニックネーム masa at 14:29| Comment(0) | 文化部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

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